発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

カメムシ軍団と米

芸術の秋という内容の記事を書いたが、秋といえば他にも風物詩となるものがあることを忘れていた。

 

カメムシの大量発生である。

 

この時期になると冬越しのために、全国各地でカメムシの民族大移動が行われることになる。弊害として洗濯物や干した布団に潜り込む、飛んできて服につくなどして各地で被害者が続出することになる。地方在住時にも悩まされたが、不思議なことに柔軟剤の香りがする洗濯物には一切寄ってこなかったことを記憶している。

 

カメムシウィキペディアを見ると「不快害虫」とある。それだけでなくあの臭いニオイはそれを発したカメムシ自身をも死に至らしめるほどの威力と毒性があるという。カメムシは群生し、あのニオイを誰かが出すやいなや皆一目散に逃げ出すというが、そんな地獄のような光景には幸か不幸かついぞお目にかかったことがない。

 

最近、北陸在住の私の友人から米が届いた。もちろん私が注文したものである。最初の頃に記事にしたが、美味しい米というものは概して栽培時に使う水の質が良い。彼の作った米も生活排水の混入が無い水で作っているので美味しいのである。

 

以前、30kgの玄米を送ってもらった時に「利益はいくらになるの?」と尋ねると「270円程度だ」と言うので、なるほど1kgで270円なら5400円も利益があるのかと感心していると、

 

「いや、30kgで270円だ」と返ってきた。米は皆、口を揃えて高い高いと言うがこれでも安いくらいなのである。ちなみに農協を通すと赤字になるそうで、返す言葉も見つからなかった。

 

米を研いでいると時々、黒い米が見つかることがある。これがクレームの原因として非常に多いらしく農家の頭を悩ませている。米の買取価格には一等から三等まである。当然、一等が最も買取価格が高いがこれには様々な基準があり、例えば黒など変色した米の混入割合では1000粒に0もしくは1つで一等米、二等米なら3粒までとなり買取価格が下がっていく。三等米と言えど変色した米粒は1000粒のうちせいぜい7粒と一桁にも関わらず随分と買取価格が下がってしまう。ただでさえ利益が少ないのに同じ手間をかけてさらに安く買い取られてはかなわないと皆、必死になるのである。

 

みんなの嫌われ者である黒い米をせっせこ作っている犯人こそ、「みんなの嫌われ者」ことカメムシなのだ。頭を垂れるずっと前の緑の時期に汁を吸われると黒くなるという。この季節になるとヤツらは締めが甘い網戸のわずかな隙間などから、寒さを逃れて何とか屋内で冬越ししてやろうと侵入を試みており、文字通り我々人間の「隙」を日々、虎視眈々と狙っている。

 

光に集まる習性があり、夜寝る前に電灯付近を低い羽音で「ブーン・・・ブーン・・・」と断続的に飛び回られたら気になってもう眠れない。かといって、うかつに叩けばその夜は自然味溢れる香ばしいニオイがたちどころに室内に満ち満ちて徹夜、良くて寝不足になることは間違いないだろう。

 

私の場合は紙や下敷きなどを用意してカメムシを上に載せては外に出すということが、古民家に住んでいたときの毎日の日課であった。サラダ油をペットボトルに満たして、中に落とし込んでいる人もいたが、大量のカメムシが溜まっていくとそれは何とも言えない光景になっていたので私はやっていない。

 

そのため夏場の田んぼにおいては、夜間に大量のネオニコチノイド系農薬散布を行う「一斉防除」が行われる。

 

一斉防除は事前に各家庭にビラが配られて通告されるが、内容が非常に物々しい。

 

外を出歩くな、窓をしっかり閉めろ、子供やペットを出歩かせるな、野菜は収穫するかネットをかけろ、井戸に蓋をしろとまるで戦時中の空襲前のようである。

 

ラクターで牽引し、走りながら飛行機のジェットエンジンのような巨大な噴霧器を使って遠くまで農薬を吹き付けていく光景を窓の内側から見ていると、雪国独特のオレンジ色の街灯にゆらゆらと霧が照らし出されていて幻想的な光景になっていた。かつて一世を風靡したクロード・チアリがアコースティックギターで奏でる名曲「夜霧のしのび逢い」を彷彿とさせるものがある。

 

しかし、すぐに現実に目覚める。いや、霧なんかではない。これは農薬なのだ。

 

一斉防除の後は2週間は蚊が出ない。そして翌朝は農薬の粉で車が真っ白になっているので水道のホースを伸ばしてきて入念に洗車することから一日が始まるのである。

 

農薬や化学肥料を使う従来の農法を慣行栽培、無農薬無施肥で行う農法を自然栽培という。有機栽培は両者の中間付近のイメージであるが基準が曖昧であり、実際のところは慣行栽培寄りと考えて良いと思う。

 

自然栽培の無施肥(有機・化学を問わず肥料を使わない)を聞いて誰しもが疑問に思うことがある。どうやって栄養を供給するのかという問題だ。そのために落花生などマメ科の作物を3年ほど育てる。マメ科の植物の根っこには根粒菌と言って空気中の窒素を栄養に変えていく「窒素固定」と言われる驚くべき能力を持つ菌が住み着く。空気の8割が窒素であることを考えると、根粒菌は栄養の無限供給装置と考えてよい。いきなり作物を植えるのではなく、こうして根粒菌を根付かせる土作りから根気よく行っていかなければならないと友人から教わったことがある。

 

問題はそれだけではない。畑や田が隣接していると「お前の所の虫が俺の畑に来る」と嫌がられることもあると関係者から聞いた。隣でうんと農薬を撒かれたらたまったものではない。様々な理由で自然栽培ができなくなったり、その土地での撤退を余儀なくされる場合もあるという。

 

くだんの友人は農業に精通し自然栽培にも関わったことがあるのだが、農業をやるならまずは慣行栽培をきちんとやれる必要があるといつも言っていた。

 

自然栽培と慣行栽培、どちらが素晴らしいかと比べるつもりはない。辺り一面を霧のように粉が舞うネオニコチノイド系農薬の一斉防除を見れば有機栽培や自然栽培に憧れる人も多いだろうし、価格が上がったり黒い米が混入していると文句を言い、安定した価格の純白の米を求めているのは他ならぬ我々消費者である。

 

私はこれらは他人に求めるものではなく、自分が農業に直接関わっているかで判断すべきと考えている。草刈りにおいて除草剤を撒くと言えば何かと反対する人がいるが、真夏の棚田など法面の草刈りの大変さを身を持って知っているので、農業の高齢化や作業効率を考えると致し方ないことだと思う。

 

自然栽培には実は私もほんの少しだけ関わったことがあるのだが、草刈りをする時も全て吹き飛ばさずある一定の高さを保って刈ることや、刈った草でベッドを作るように作物の周りに被せたりと気の遠くなるような作業の積み重ねである。当然、収量は安定しないか安定するまで時間がかかるだろうし、米なら黒い米の割合が増えることは間違いなく、手間暇を考えると当然の如く価格も跳ね上がることは想像に難くない。

 

友人から届いた米を研ぎ、外出中にたまに服に飛びついてくるカメムシをピンッと指で弾く度に様々な思いが交錯する。

 

(おわり)

 

<参考記事>

hattatsu-yakuzaishi.com