久々に勢力の強い台風が来た気がする。草木を波打たせてなぎ倒し轟々と吹き荒れる台風の風の音を聞いていると、風のことを考えずにはいられない。
大学生の頃に同世代の友人に誘われて鳥取に行ったことがある。観光などという生易しいものではなく、友人の知り合いがやっているという周囲を山に囲まれた谷間にあるのどかな畑で、イノシシ避けのフェンスをシノという鉤爪のような道具を使って針金で強力に固定していく作業のボランティアをさせてもらっていたが、ふと、本当にわずかな感覚ではあったが頬をかすめる風の質が変わった気がした。
思わず顔を上げて「来る」と呟くと、隣でそれを聞いた畑の持ち主の人が「風向きが変わったね」と答えてくれた。もちろん、天気は今までと変わらず晴れている上にパッと見たところ何ら変わりはない。
ただ確かに何かが変わった気がして、しかも学校の定期試験で鉛筆を転がすヤマカン(ついぞ、やったことはないが)のようなアテにならない感覚ではなく、確実性のある感覚として捉えていた。
我々は急いで作業を終わらせ片付けを始めた。山々の上には変わらず青空と太陽があり、何も知らない人からしたら何やら慌てふためいて急いでいる我々の姿がさぞ滑稽に見えたことだろう。雨に濡れてはいけないものは全て収納し、撤収の準備が終わりかけたちょうどその時、空が一気に暗くなってきて雷鳴が轟き、強い風が吹き始めたのである。
そして軽トラックでの帰路、土砂降りの大雨に襲われたが全くもって我々の被害はなかったのであった。
小笠原諸島にいた時、亜熱帯であるのでスコールのような強い雨がドラえもんの道具「ラジコン雨雲」のようにピンポイントで降ることがよくあった。それも目視できる範囲であそこは降っているけど、こちらは止んでいるとひと目でわかるほどで、今考えても不思議な雨であった。
そういうわけで虹がかかる時は全天を大きくまたぐことはなく、さながら滋賀県の瀬田の唐橋のような低い虹がよくかかっていた。
この亜熱帯の不思議な雨であっても私の予知能力?は威力を発揮し、度々この大雨を回避することに成功していた。
それから10年以上経ってそんなことなどすっかり忘れていた最近のことではあるが、真夏の大都市の一角を歩いていると遠くで雷が鳴っている気がした。しかし20分近く経っても同じ状態であったのでその辺りのベンチで休息しようとして腰掛けたときに「ダメだ」という感覚が来た。久々の例の感覚であった。
歩調を速めて屋根がある場所に向かっていると急に空が暗くなってきた。あと数メートルという時にポツリポツリと大きな雨粒が地面に当たり始めた。程なくして土砂降りの雨に変わり、さっきまで歩いていた道は突然の大雨を処理しきれずに川のようになっていたのであった。もちろん、事なきを得たことは言うまでもない。
1971年という半世紀以上前に一世を風靡したニール・セダカの「スーパーバード」という曲がある。さすがはジュリアード音楽院卒でありどこかバロックのクラシック音楽を感じさせるメロディが有名な、古さを全く感じさせない興味深い有名な曲であるが歌詞の流れをまとめると、
私が小さい頃に心配事などこれっぽっちもなかった。それどころか大きく手を伸ばして部屋の中を飛んでいたものである。シャンデリアを行ったり来たり自由に飛び回っていた。
When I was young, No worries in my head. I used to my flap my arms, fly around the bed.
Just like a superbird , ZOOM ZOOM ZOOM.
Up and down the chandelier, all round the room.
※著作権の関係で、歌詞は筆者が全て自分でタイピング
ある日、私は部屋の中を飛んでいるんだよと大人に言うと、大人は全く信じることなくむしろ同情するように「この子は嘘をつこうとしてついているわけではないのにね」とさえ言うので、部屋の中を飛んでいるんだと人前では言わなくなった。
あまりにも信じてもらえないので泣きじゃくり、私はついに飛ぶことをやめてしまった。どうにも私の才能の開花は早すぎたのだ。以後、私が部屋の中を飛び回ることはなかった。
随分と時間が経って私も大人になり子を持つ親になった。子供達を寝かしつけて部屋の電気を消してドアを閉めて廊下に出た時、私は何を聞いたと思う?
"ZOOM ZOOM ZOOM, superbird"
最後のパートはトランペットも入って盛り上がりクライマックスを迎えるのだが、私はこの最後のパートは自由に解釈できると気がする。
It skipped my mind for years, at least until tonight.
When I tucked my kids in , and I turned out the light.
There at the doorway, you'll never guess what I heard,
"ZOOM ZOOM ZOOM, superbird"
「大人になって子供の親になった自分が、今度は自分の子供が部屋を飛び回っているのを聞いた」
と訳すのが一般的なのだろうが、私としては
「すっかり忘れていた『部屋を飛び回る』という感覚を、子供達がきっかけで思い出した」
と少し違う解釈もできるのではないかと考えている。
ちなみにニール・セダカは
Fly fly fly superbid,superbird.
While you're young, superbird,superbird.
There's time enough to wreck your dreams, have your fun, superbird.
と子供の頃にしっかり楽しんでおけと言わんばかりにどこか諦めのような雰囲気を感じさせているが、解釈は自由である。
"ZOOM ZOOM ZOOM, superbird"のような、「昔はこういうことができたけど、今となってはすっかり忘れている」という感覚は誰しもが持っていると思う。
何かのきっかけで、大人になってもふと目覚めることがあるのだから面白い。
(おわり)