発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

来客に薪割りをさせる男

尊敬してやまない※師匠と呼ぶ人がいる。

 

※マルチやネットワークビジネス系のそれではありません。あしからず。

 

この人は良い意味で非常に変わった人で旧帝大を卒業した秀才であるにも関わらず、幹部候補としての大企業就職などという旧帝大卒にありがちなエリートコースから逸れた生き方をしてきて、普段は作務衣を着て山中の片田舎で小さなお店を営みつつ、時折東京や大阪など都会に出てきてはイベントで講師を勤めておられる。

 

私がまだ20代の時に彼のお店を初めて訪ねた時のことだった。作業を色々と手伝っていると「薪割りをやってみないか?」と尋ねてきた。

 

薪割りなどやったことがなかったので、これは面白そうだと思って薪割りをさせていただくことにした。

 

薪割りは簡単に言えば、まず硬い栗の木のような物を台座に据える。チェーンソーで玉切りにして切り分けたバケツ程度の大きさの木の幹を縦に割ったり、さらに細かく様々な斧を使って割って燃えやすい大きさにしていく作業のことである。

 

木などはその辺に生えている侵略的外来種ワースト100にも選ばれているハリエンジュを適当にぶった切ってきて玉切りにしたものや、師の所有する土地に生えている頃合いの杉の木であったりと材料に事欠くことはない。

 

斧はドイツ製の非常に頑丈なもので2kgもあり、握りが太くていかにも身長190センチ級のゴリラみたいな体格の欧米人用だとわかる代物である。

 

とりあえず割ってみなと言われ、振りかぶって下ろすと刃が正中線を切って薪が真っ二つに割れた。

 

私は元剣道部である。左手の小指、薬指、中指の3本の指に力を入れて右手は力を抜き添えるだけという剣道の素振りの基本を20年近く経っても身体が覚えていたようであった。

 

「君は素直で真っ直ぐな、いい薪割りをする」

 

という評を頂いた。

 

師曰く「薪割りをするとね、その人の人間性がわかるんだよ。口の上手い人は基本的に信じないけれども、薪割りは嘘をつかないからね。」

 

師ほど喋りの上手い人間はそうそういないのに、こういうことを言うからなお面白い。日々自然の中に生きて向き合っている師ならではの考え方であり、その中で醸成された人間性の見抜き方なのであろう。

 

さて、この薪割りでどうにも私の人間性が試されていたようで晴れて合格となったようではある。

 

今は知らないが当時は男性の来客には薪割りをしてもらって、薪割りを通してその人の人間性を見ているとのことであった。女性は好奇心旺盛な希望者がされているのを見かけたことはあるが、よほどの怪力でない限り危なっかしいことこの上ないので女性に対しては当時はあくまで希望者のみであった。

 

師匠にはその後イベントでご一緒させて頂いたりと、長い付き合いになっている。

 

剣道部時代には日体大卒の顧問に、今の時代では考えられないが怒鳴られるか殴られるかしかないという地獄のような日々を送っていて、これが一体何の役に立つのか当時は皆目見当もつかなかったが、20年近く経って薪割りという思いがけない形で役に立って来たことに驚いた。その薪割りの割りっぷりのおかげで師との関わりを持てるようになったわけであり、本当に人生何が役に立つかわからないものである。

 

その後も何度かお店を訪れては薪割りをさせて頂いたもので、振りかぶらずに割るという効率的な割り方も編み出した。先端が重い斧を振りかぶるとすぐに疲れてしまい、長時間の作業ができない。薪割りはやり始めると本当に止まらなくなるから不思議である。ある時は格闘技をやっている地元の若者が「握力が上がる」と言って自前の斧をわざわざ購入して持参し、丸太のような極太の幹を持ち前の怪力で割りまくっては「ありがとうございました!」と言って帰っていったそうで、どうにも薪割りには人を魅了するものがあるらしい。

 

薪ストーブを家に置く人は皆、口を揃えて「薪を積んでいるのを見ると安心する」と言う。

 

遡ること我々のご先祖様が素っ裸で獲物を追いかけ回していた時代から、厳冬期に暖を取る手段として火は欠かせないものであったことを考えると、エアコンやファンヒーターや床暖房が充実した現代にあっても、どこか遺伝子の中に刷り込まれているものなのかもしれない。

 

久しく薪を割っていない。それどころか、長距離ランナーとしての身体になってしまい棒のように細くなってしまったので斧を振り上げられるかどうかも怪しい。

 

けれども薪割りをすると20代の頃の初心を思い出すもので、作業着や安全長靴を持ち込んで薪割りを口実にそのうちお店に伺いたいと思っている。

 

(おわり)