タイトルとは反して私はほとんど下戸に近いレベルで酒が飲めない。大学の部活の飲み会では体育会ということもあり、他の部活より幾分マシだったとはいえトイレでシンガポール名物マーライオンに何度なりきったことかわからない。
その学生時代に、地方部で当時お世話になっていた社長に酒席に呼んでいただいたことがあった。馴染みの店に自分の好きな酒を店公認で持ち込んでツマミや一品だけはお店に注文するスタイルであった。
社長が「車に忘れた!」と言うので社員の人が「あっ」と答えるや否や渡された車のキーを預かって店を飛び出すこと数分で抱えてきたのはワインのデキャンターであった。
驚いたことに、車にどでかいデキャンターを積んでいた。とにかく見たこともないような酒席持ち込みセットの数と種類に目を奪われてしまった。
「君は飲めるのか?」と聞かれたので「飲めません」と答えると
「わかった、飲め」と返ってくる。
何をしてわかったと答えたのか未だに不明である。今ならアルハラだのパワハラだのと何とかハラがいくつも付きそうな行為ではあるが、いかんせん十数年前のことであるのでそんなものは無いに等しい。口に含んだだけで救急車の完全な下戸でもないので少し付き合わせていただくことにした。
まずは、日本酒である。
ところが、くだんの社長はそう簡単には飲ませてくれない。飲む前に10分程度のウンチク講座が開催される。
これも今なら何とかハラスメントになるのだろう。
「この日本酒は純米大吟醸の氷温で3年間熟成させたものだ。この氷温で熟成させることによって・・・」
という説明が延々と続くのだが不思議と聞いていて飽きない。それどころか非常に興味深い内容であった。
グラスに注いだときも講座が止まることはない。
「なぜ、白ワインを入れるグラスに日本酒を注ぐかわかるか?」
「わかりません!」
これは人付き合いのコツなのだろうが、知っていようが「わかりません(≒語ってください)」と答えるとどうにも機嫌がよくなるようである。ちなみにこれは本当に知らなかったので素直に答えたまで。
「いきなり飲まずにまず香りを楽しむ。香りを楽しむにはこのワイングラスの形状が一番良いんだ。それから注ぐのを止めてもらうときは人差し指と中指の二本の指で台座の部分(名称失念)を押さえるんだ。覚えておきなさい。」
「酒にはそれぞれ飲み頃の温度がある。この酒もワイングラスに入った段階で飲み頃になるように計算してあるんだ」
指示された通りにまずワイングラスを持ち上げて(グラスの持ち上げ方と回し方講座もある)、軽く回して香りを確認した。なるほど芳醇な香りがスーッと鼻粘膜を心地よく刺激する。
とても日本酒とは思えない、酒をほとんど飲めないながらも「これは、本当に美味しい」と感じたものであった。
次にわざわざ持参したデキャンターを使って赤ワインが例のごとく、グラスを変更して注がれる。
なぜボトルの底が凹んでいるのか、なぜデキャンターを通すのかなどウンチク講座が今回も開催されるが非常に面白くて聞いていて全く飽きない。
ちなみにデキャンターを通すのは、空気に触れさせることによって美味しくなるからだそうである。
これも、飲み頃の温度まで計算されていたこともあり非常に美味しく感じた。
ツマミに関するウンチク講座もあった。
このカラスミは必ず同じ大きさに切った大根を添える。なぜかわかるか? 大根のおかげでカラスミの塩辛さがマイルドになってチーズのような感覚になるんだ。
カラスミ、と言えばボラの卵である。ボラといえばどんなに汚い川にでも生息する魚というイメージがあり、釣りをすれば餌取りとして掛かってくるがウロコが剥がれて手にたくさんへばりつくもので大嫌いであった。近年ではベトナム人実習生の子らが決して美しくはない川で釣り糸を垂れてはボラを釣っていてどうにも日々の食料の足しにしているらしい光景を見かけるが、ともかく美味しそうだと感じたことはこれっぽっちもなかった。
生まれて初めて食べてみたが、これが本当にチーズのようで非常に美味であった。
社長が最後に語った言葉が印象的でよく覚えている。
「本当の酒好きというのはね、ガブガブ飲むんじゃなくて、こうして良い酒を少しずつ最高の状態で味わうものなんだ」
社長の酒の飲み方を振り返ること数日して、ふと頭に浮かんだのは「美しい」という言葉であった。
純粋に酒を愛し、その酒の良さを十二分に引き出して味わう姿はもはや求道の精神に通ずるものさえ感じさせていた。
その美しさが、酒にほとんど興味の無い私の心さえ魅了したのであろう。
日本人はとかく所作に美しさを求める。
弓道、茶道、ランニングやスキーに至るまで動きの見た目の美しさに徹底的にこだわる。結果が出れば見た目や手段は問わないという邪道をとことん排除し忌み嫌う。
私も日本人のはしくれ、所作が美しいものにはやはり見とれてしまう。ランニングやスキー、弓道にしてもやはりそういう所を目指して練習している。たまに意図せず出てくる美しい動きは確実に良い結果を生むが、悔しいことに頭の方が覚えておらず再現が難しい。それもまた面白いので継続できるわけである。
見た目だけ、体裁だけ整えて美しく見せるものではない。これは邪道であり決して美しいものではない。
見た目だけ整えようとしてもどこかで崩れてしまう。純粋に物事に取り組み向き合う精神と、そういったことを大切にする精神が結果として所作の美しさを産み出しているのかもしれない。
ものごとの判断基準の1つに、この「美しさ」があっても良いと思うのは私だけだろうか。
地方部なのでホテルで一泊したが、不思議なことに二日酔いなど全くなく気持ち良い朝を迎えることができた。酒席の翌日であるこの日に、例の三年間氷温熟成純米大吟醸の地酒を探し回って買って帰ったことは言うまでもない。しかし、あの時のあの味が自宅ではどうしても再現できずに当時学生だった私は首をかしげたのであった。
(おわり)
※当然、社長は代行運転で帰宅されました。今の時代、非常にうるさいのであしからず。