先程飲んだ、市内のさほど有名ではないが歴史は古い酒造会社の麹の甘酒が美味しかったので、今日のテーマは米にした。
以前住んでいた地方は日本でも有数の米どころであり、どこの在所も「うちの米が一番美味しい」という。だいたい、そんなものだろうと言いたいところだが、親の実家から送られてくる農協を通していない米を子供の頃から食べて育ってきたので米の美味さの基準は出来ている自覚はある。
農協を通さないというのは地方在住の人は大きくうなずかれるところではあると思うが、今回は割愛する。
先程述べた当時住んでいた地域内で作られた米を食べて思わずうなったことがある。これは本当にうまい!となり、話を聞けばそれは水もいいし、土も柔らかくて良い土だから美味いんだと当たり障りのない非常に謙虚な回答であった。ある人は大都会の寿司屋がうちの田んぼと独占契約させてくれと頼んできたことが昔あったと教えてくれた。ちなみに安定供給が難しい農作物であるのでお断りしたらしい。
水がいいと言うものの、この辺りは清流など見当たらず溜め池くらいしかなかったはずだと不思議に思ったので水源をたどって歩いて散策したことがある。
驚いたことに山の中にそれっぽい溜め池を見つけた時に、あまりの美しさに息を呑んだ。申し訳ないが溜め池のイメージといえば水の出入りがない閉鎖性水域であり藻が大量に発生して蚊やハエの巣窟という汚いイメージしかなかったのだが、この水源の溜め池は透き通ったコバルトブルーと言うべきか、北海道に住んでいたときに旅で訪れた摩周湖の伏流水と言われる神の子池の青さに良く似ていた。同じように相当に深いのだろう。
土の柔らかさは見ていてわかるほどで、田植え機を使わずに渓流釣りに使うような胴長を着て一歩一歩、深みにはまるようにして田植え機を手で押して田植えされていたし、収穫時にはコンバインのクローラーが柔らかい土にめり込んで斜めになって空転しスタックするという驚異の事態を目の当たりにしていた。タイヤならまだしも戦車でも使われるクローラーがスタックするなど聞いたことがない。
他にもなぜ美味しいのか深堀りして聞き出したところ、玄米として冷蔵保管して都度精米すると美味しいと返ってきた。
美味しい米というものは様々な要素が相まって出来上がるものであり、どれ一つ欠けてはいけない芸術品のように思えてきたのであった。
質の良い水を引き、質の良い土、徹底された水管理、玄米の温度管理などの絶妙なバランスで成り立っていることを忘れてはいけないのである。
新潟は魚沼のコシヒカリだとか、無農薬無施肥の自然栽培米などというブランド名に左右されなくなったのは言うまでもない。
魚沼のコシヒカリでも水が良くなくて土も硬く玄米を冷蔵保管せずに精米して放ったらかしの米など、値段がどんなに高くても本来の味ではないというか、間違いなくそこまで美味しくはないだろうということだ。
美味い米を食べたければブランドに左右されることなく、まずその田んぼはどこから水を引いているのかという本質的なところまで迫らなければならないということである。
本質の追求は非常に応用の効く考え方であり、例えば汗を滝のようにかいてデトックスという話があるがとんでもないことである。
汗となる水分は基本的に大腸から吸収される。1週間も便秘状態の人が滝のように汗をかこうものなら、その水分はいったいどこから吸収されるのか想像してみればわかることで、デトックスどころか全身に毒素をぶちまける行為に変わりないということになる。
本当にデトックスをしたければ水源のデトックス、文字通りつまるところ腸活と最近は言うらしいが便秘の解消がまず先決となる。
本質の追求には基礎学問と実体験の両方が必要であると思う。学び、自分で体験しつつ時に失敗したりと試行錯誤を経て追求していくところに妙味がある気がする。
(おわり)