記念すべき最初のテーマはやはり「発達障害」
大盛りのパスタを食べても瞬時にお腹が空くほど頭を使いまくる知能検査をさんざん受け、野口英世や福翁をさんざん貢いだ精神科での診断結果は「ASD・ADHDの併発」である。併発というと聞こえがよいが要はダブルパンチであり、矛盾したものを抱えているとも言える。
自閉症スペクトラムと多動など、一見するとどう考えても共存することは不可能に思える。しかし当事者となってみるとあながち不可能ではなく、むしろお互いの致命的な欠点を補い合ってるようにも感じるのである。
仕事になるのはASDであると思う。凄まじいこだわりと言うか凝り性が仕事の性分とピターッと合えば、コミュニケーション能力の欠如やキレやすさといった致命的な欠点を含めても天才と言われるだろう。
反面、ADHDなど絶望的である。遅刻はする、忘れ物や無くしものが多い、指示が重なった結果最初にやれと言われたことを忘れる、いつも頭が真っ白でパニクっている、ミーティング中に妄想してぼーっとしている、柱に肩をぶつけまくるなどもはや社会人不適格の烙印を押されること疑いなしであり、下手をすれば解雇である。
私は電車で出かけるときなどアプリで乗り換え案内を出すだけでなく、乗り換え先の駅の構内図のPDFファイルまで開いて階段の位置を確かめたりしている。この階段の位置なら何両目に席を取るか、初めての駅なら走ることはできないので一本ゆとりを持たせようとか、単線区間が多いので遅延を考えてかなりゆとりをもたせようとか、使用車両の編成をウィキペディアで調べ上げて電動車と中間車なら今回は静かな中間車にしようとか、珍しい車両でモーター音を聞きたいからあえて電動車にしようとか、そういうことまで調べ上げて切符を取るので遠方でも遅刻をしたことがない。
もっとも電動車と中間車のこだわりは遅刻とは無関係ではあるが。
これはASD気質がADHDの欠点を補っているとも受け取れる好例であると思っている。
また、私は仲の良い人となら雑談が弾むという特性もある。ASD単独なら難しいところではあるが、ADHD気質で多趣味であり、色々な所に住み、様々な仕事を経験してきたおかげで大概の人と話ができるのである。
昔、お世話になった一代叩き上げ経営者の方の趣味が庭造りであり、生涯で億単位を自宅の庭にかけてきたという話を聞いた時にひとこと「山縣有朋のようですね」と言うと、ニッコリ笑って「若いのにあんた、そんなことまで知っとるのか」と。普段の車はエアコン無しの軽トラ生活など質素な方でこれにも非常に感心させられた。金持ちなど散財しまくっているイメージであったが真逆である。他に知り合った方もそうだったが、お金持ちは意外とお金を使わないようで一般人の方がよほどブランド志向である。
ある時は庭の石造りの池で泳ぐ鯉を見て「大正三色ですね」と言うと「あんた、鯉がわかるのか?」と驚いた顔と共に返ってきた。分かるも何もたまたま数日前に見たアニメ「こち亀」の両津勘吉が大原部長の鯉を世話をする回の時に知ったばかりであるわけで。
その方には随分とよくしていただき養魚場での鯉の買付に同行させて頂いて高価な鯉をひたすら見て回っては目を養おうとしたり、毎週のようにスナックにカラオケに連れていっていただき歌の練習をさせて頂いたものである。歌手並みの圧倒的な声量と原曲キーで歌える者が絶対王者の若者同士のカラオケと違い、高齢で声量はなくともコブシの効かせ方や感情の乗せ方など本質的に歌が本当に上手く文字通り歌手顔負けであった。
さしづめ、ADHDさまさまと言ったところだろう。ちなみに鯉の良さは未だによくわかっていない。
さて発達障害の当事者となって気になるのが、障害の「害の字問題」である。
害とは何だと。生まれつきなのにひどいのではないかということで
障碍、障がいなど様々な表記を使って皆さん気を遣われているのだが、当事者となって思うことは
「どうでもいい」
これには驚いた。本当にどうでもいい。
五体満足であり、大学生の時に慰問で訪れた先の重度障害の方を見ている身としてこういうことを語るのは恐れ多いのだが、大切なことなのであえてこういう表現をさせていただいた。
そんな表面的なことよりも、「実」を充実させてほしいと思うのである。
例えば、発達障害の検査はコロナ禍であまり報じられなかったがかなりの検査が自費、つまり保険適用外の全額自己負担となってしまった。
冒頭で福翁を貢いだというのはそのことである。
はっきり言って害の字などどうでもよいので、もっと検査や診断、配慮を受けやすい環境を整えるなどしてほしいと思う。自立支援医療や手帳の申請には都度、そのための診断書が必要でありこれまた時間とお金がかかる。
ただ1つ言えるのは、発達障害となって手帳まで下りる身となっても自分が自分であることに変わりはないということである。
今まで通りの外見であり性格のままであり、何が変わるというものでもない。
ただし自分に対するイメージ、俗に言う「セルフイメージ」だけは要注意だと考える。
これは就労移行支援事業所での体験に行って感じたことであり、人は優しいしお金もかからず食事まで出てきて何一つ文句は無いにもかかわらず、不思議と強い違和感を感じて就労移行支援は受けなかったのだが、この違和感を言語化するのに3ヶ月も要したことに驚いた。
これは長くなりそうなのでまた別の機会にするが、要するに「自分は障害者である」というセルフイメージが間違った方向に行ってしまうと厄介なことになると感じるのである。
(おわり)